一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡

戦国時代、越前の国を支配していたのは、朝倉氏であった。

朝倉氏は5代にわたりこの一乗谷で越前の地を治めた。最盛期にはこの城下町に人口1万人を超える人々が住み、この時代では大きな都市であった。

1573年、朝倉義景軍は織田信長軍に包囲された近江の浅井氏を救援すべく出兵したが、織田軍の反撃を受け、自害した。一乗谷の城下町も火を放たれ壊滅した。

一乗谷朝倉氏遺跡

その城下町あとは、1967年から発掘調査が進み、今では当主の館や武家屋敷、町屋、道路に至るまでほぼ完全に発掘され、一部は復元されている。

東側の山には、山城跡があり、「日本の百名城」の一つに数えられている。また遺跡で発見された花壇のあとは現在で確認された日本最古のものである。

近年、一乗谷の繁栄を現代に伝える新博物館がオープンし、日本の戦国時代の浪漫を感じさせる展示がなされている。

一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並